九州二胡演奏祭 感想

開場40分前、アクロス福岡のフロアが入場を待っている人達で埋め尽くされている光景を見てこの演奏祭に取り組んできた5カ月間のことや二胡への様々な思いが走馬灯のように脳裡を巡り胸がいっぱいになりました。
演奏祭終了後にフェイスブックで知ったのですが、フロアに入りきれなかった人達は建物の外周をぐるりと行列を作っていたとのことでした。1500人以上の来場者で当日券も100人近く出たようで、実行委員皆で嬉しい悲鳴を上げました。オープニング曲の「胡琴祭序曲」が始まった時、会場係の私は、席がほぼ満席の状態になっているのを見て大きな喜びと感動で思わず涙がこぼれそうになりました。皆様本当にありがとうございました。

さて演奏(曲目)は

島の風
劉福君さんが沖縄への思いをメロディーにした新しい曲で、CDで何度も聴いていたのですが、三線や楊琴も加わり、?林さんの編曲もなされていて重奏的な音の重なりが二胡独奏とはまた違う趣になっていました。
沖縄は琉球時代から武力を持たずにアジアの国々と交易を行い、特に中国とは文化的にも深い交流がありました。なのに、沖縄がおかれている現況は…。琉球音階も三線の音も私を複雑な思いにさせます。

北京有个金太陽
日本華楽団と熊本交響楽団に二胡演奏者28名が加わり、軽快だけど重厚な印象を持ちました。

月夜
中国の有名な作曲家で演奏家の劉天華の作曲によるもので、二胡の哀愁帯びた音色と楊琴のやさしい調べの絶妙なハーモニーが、澄んだ夜空に浮かんだ満月の情景を思い描かせる美しい曲です。

リベルタンゴ
ブエノスアイレスの労働者階層の間で生み出されたタンゴ。情熱的なメロディーを、地球の裏側の国の古典楽器が入って演奏するという面白さ。意外と調和している。そう、どちらも民衆が愛した音楽で、哀愁漂う曲という共通点はありますよね。(私の全くの私見)

江南春色
小舟に揺られ川をたゆたいながら、悠久の時の流れを感じさせてくれる、ゆったりした気持ちになれる曲。江南の水郷地帯に暮らす人々の生活の営みに思いを馳せると、心が寄り添えたような気分になります。
演奏された高楊さんの穏やかな奏法と「山村小景」というCDのタイトルが気に入って買って帰ったのですが、とても味わいのあるいい曲が入っています。

荒城の月
演奏曲目にはなかったのですが、楊琴奏者の沈兵さんが楊琴独奏をしてくださいました。優しい楊琴の調べと沈兵さんのエレガントな雰囲気に皆魅了されたようです。私もうっとりしました。知人の男性はCDを買ったとか。きっととりこになったのでしょう。

喜送公糧
私達の二胡教室の先生がドレスアップして登場。誇らしい気持ちと、自分のことのようにどきどきわくわく。心の中で声援を送りながら聴きました。
それにしても、日頃一緒に練習することのない奏者が一堂に会して、当日のリハーサルだけでこんなに息があって素晴らしい演奏ができるものかと驚きです。このことは今日の出演者全てに言えることで、感嘆です。

陽関三叠
何とも味わいのある二胡の深い音色に、時空を超えて唐の時代に生きた人々の喜怒哀楽の感情に触れているような不思議な感覚です。
武楽群さんの弾かれた二胡は、東日本大震災の時の流木で作られ、二胡の竿の部分に武楽群さんご自身が「奇跡の一本松」を描いており、亡くなられた方々への鎮魂の思いと、被災地への復興の願いが込められながら演奏されました。
私には、二胡の音色というより、中胡のような、低く重く唸るような響きに、3.11の事が思い出され、胸が痛くなりました。多分聴衆者の皆様も同じ思いではなかったかと思います。聴いている人達が聴き入り、共感し、それが演奏者にも伝わるような、まさに演奏者と聴衆者の心が一つなった感を得られた演奏だったと思います。
私が大好きな二胡曲の一つで、よく聴いているのですが、このような思いで聴くのは初めてでした。

紅梅随想曲
演奏時間が20分近くにも及ぶのでじっくり聴くことができます。劉福君さんのまろやかでふくらみのある二胡音(どうしたらこんな音色が出るのでしょうか。二胡を始めて一年生の私は落ち込んでしまいます)、圧巻でした。私が好きな旋律が何度か繰り返されるのですが、その度に心をグァッと鷲づかみにされ、周りが全て消え去り、大宇宙に抱かれているような感覚になりました。永遠にこの時が続くような、続けばいいと願わずにいられないような…。劉福君さんの二胡音が空間に広がり圧倒され、私には神秘的な名状しがたい、ちょっと神がかり的な演奏風景で、こんな体験も初めてでした。

アンコール曲
塞馬(競馬)
果てしなく広がる大草原を馬の群れが疾走する情景が思い浮かべられる曲。アップテンポで一気に弾き上げるから、会場が盛り上がり興奮してしまいました。最後の馬のいななきの音の時、劉さんの顔が馬の顔に見えました(笑)失礼!!

故郷
聴衆者の歌声の合唱でまさに大演奏となる。私は胸にこみあげてくるものがあって、声を出すことができませんでした。一声発すると涙もこぼれ落ちてきて止まらなくなってしまうようで…。

こうして、会場が一つになり大きな感動が渦巻くなかで、無事終了しました。心地よい空間を皆様と共有でき、幸せなひとときでした。と同時にほっと安堵したのも正直なところです。

劉福君さんが「音楽には不思議な力があります。国境を越え民族を越え交流することができます」と言われたことを実感しました。本当に音楽は人々の心のなかで、深く豊かにつながっていくものだとつくづく思いました。

劉福君さんを始め中国の演奏家の方々が私達に中国の古典楽器に親しみを覚えさせてくださり、二胡愛好者を広め、また若い世代の育成に励まれ頑張ってこられたことは素晴らしいしとても感謝します。そのことが日中の文化交流に大きく貢献してきたと考えます。

福岡支部長の後藤さんが「日中の関係が冷え切っているなかで、これだけ多くの方が中国の文化に触れたいと足を運んでくださったことは、やはり日本と中国は一衣帯水の密接な間柄だと感じます」とフェイスブックに投稿されていました。
私は以前にこの日中友好新聞紙上で書かせていただきましたが、「なんでそんなに中国や韓国のことが好きなん?」と訊ねられてきた時いつも「中国という母体(祖国・マザーランド)の朝鮮半島という乳房(オッパイ)からいっぱい栄養をもらって日本という子どもは大きくなったんよ。子どもはお母さんのこと好きやろ。オッパイも大好きやろ。だから仲良くせんといけんとよ。特」と答えると大体解ってくれます。
ただ「好き」や「愛する」は理屈ではないと思います。私の場合、私の中の「血」がそうさせると勝手に決めつけています。二胡の音色に血騒ぎ心躍るのです。
後藤さんは「二胡の調べは私達の体内に染み込んできます。私達の太古のDNAに刻まれているのでしょうね」ともコメントされていました。私も「日本人の心の奥深く琴線に触れるものがありますね」と返信しました。

若いころから中国の事が気になり、中国の映画や音楽が大好きで、日中友好協会の活動にささやかながらも関わってきてよかったと、大いに満たされた「九州二胡演奏祭」でした。
今回の事を糧に、さらに今後の活動に広がりと深みを増すことができればと考えています。
5月6日は、中国にどっぷり浸かった非日常の、濃密で刺激的な時間が持てた忘れられない一日になりました。心の引き出しにいろんなことを詰め込んだから、また明日からも引き出しから小出しにして反芻しながら、日中友好の活動につなげ、二胡や太極拳の練習や中国語の学習に励みたいと思います。

日中友好協会田川支部 身吉三枝子